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「本来無一物」
「動機善なりや、私心なかりしか」 です。
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「本来無一物」
これは禅の言葉で、人間は裸で生まれ、裸で死んで行くという意味です。
現世では、一般に、人々は、富や名誉や肩書きなどを求め、そうしたものを手に入れた人を成功者としてあがめますが、人間の本質という点からみると、富も名誉も、死んでお墓に持って行く事はできません。つまりすべての人は、本来生まれた時死ぬ時は、無一物であるという点で、この世で手に入れた物質や名誉は、はかないものであり、ほんとうの人間の求めるべき姿は、人間としての心を高めることであり、人生はそのための修行の場だと私は思っています。したがって、一般の人々が追い求める、富や物質や地位や肩書きなどに執着してはならないのです。そういうものには執着すると、人間は大きく間違うと思います。富や名声はあくまでも結果であって、目的ではありません。
「動機善なりや、私心なかりしか」
私の尊敬する、京セラの創業者である稲盛和夫会長が強調なさる言葉に、「動機善なりや、私心なかりしか」があります。これも私の好きな言葉です。何かをするときに、私利私欲からではなく、正しい動機から出ていることなのか、常に自分でチェックしながら、毎日反省をすることが大切であるということです。
人間は弱い存在なので、ついつい私利私欲、自分の利益のため、自分を守るために行動しがちですが、そうしたことを続けていると必ず墓穴を掘るということになります。
何か行う時には、動機がほんとうに公正であるか正しいかということを、心して自分に自問自答せよと戒めている言葉です。
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